はじめまして、「なやまる」と申します。
私は、新卒で入社した会社をわずか3か月で退職しました。そして、医療事務、営業事務と短期離職を繰り返し、最終的には国家公務員に転職したにもかかわらず、その安定した職ですら退職するというキャリアを歩んできました。
このブログでは、私がこれまで経験してきた退職や転職のエピソード、仕事に対して感じていた悩みや葛藤、そして「働くこと」とどう向き合ってきたかを正直にお話ししています。
「仕事がつらい」「自分に合う仕事がわからない」と悩んでいる方が、このブログを通して少しでも前向きな気持ちになれるように、そして次の一歩を踏み出す勇気を与えられたら良いなと思っています。
それでは今回は、私が新卒で入った会社を3ヵ月で退職した時の話をお届けします。
新卒でブラック(?)だった会社に入社するまで
やりたいことがなく、迷走した就活
大学生の私は、偏差値48の私立理系大学に通う平凡な学生でした。学歴もスキルも特別な実績もない、いわゆる低スペックな大学生だったと思います。
そんな私ですが、大学では教職課程を履修しており、教員免許を取る道も考えていました。
しかし、教育実習と就活の時期が重なることを知り、「教員免許を取得してもブラックな教員には絶対にならない」と思っていたので、教育実習前で教職課程を受けるのをやめました。
また、公務員にも興味を持ち、学内の地方公務員講座を受講したりもしていましたが、役所仕事の大変さを想像し、試験勉強を真剣に取り組むことはしませんでした。試験も受けていません。
どれも中途半端に終わり、お金だけを無駄にして、「自分は一体何がしたいのだろう」と悩むばかりでした。
好きなことから始めた就活
就活がスタートする中、私が最初に目を向けたのは、自分の「好きなこと」でした。
私はお菓子が大好きで、大学生の時に洋菓子店でアルバイトをしていた経験もあったため、お菓子メーカーや洋菓子店の販売職を視野に入れて就活を始めました。
しかし、ふと「理系の大学に進んだのに、文系でも入れる業界を選ぶのは親に出してもらった高い学費を無駄にするのでは?」という思いに駆られ、「理系出身者しか応募できない業界」へ路線を変更することにしました。
いま思うと、この考えが良くなかったのだと思います。
自分の価値観に合う仕事、自分の得意が活かせる仕事、自分の興味がある仕事に就くべきだったにもかかわらず、自分の感情を優先せずに、合理的な選択は何なのか、周りからどう見られるのかという外的な要因で自分の重要な進路を決めてしまったのです。
医薬品業界への転換と就活の進展
理系出身の強みを活かそうと考えた私は、途中から医薬品業界を軸に就活をはじめました。
大学の研究室では、細胞を用いた疾病関連の研究を行っていたので、自分の経験と業界に関連性があると考えたからです。医薬品業界なら理系っぽいし、かっこいいかも!という浅い考えもありました。
結果的に、4~5社の企業から内定をいただくことができました。そのうち1社は4月の段階で内定が出ており、就活としては比較的スムーズに進んだ方だったと思います。
最終的な会社選びの理由は「立地」だけだった
内定をいただいた会社はいずれも東京にありました。私はその中でも、都心の高層ビルにオフィスを構える企業を就職先に選びました。
選んだ理由は「立地」。正直、それ以外の決め手はありませんでした。
地方に住んでいた私は、「東京のオフィス街で働く」という響きに憧れていました。いわゆる「丸の内OL」のようなキラキラしたビジネスパーソンになりたいと思ったのです。
友人に「どこで働いてるの?」と聞かれた時に、「○○の高層ビル!」と自慢したい、そんな見栄もありました(笑)
さらに、会社の入るビルにはショッピングモールが併設されていて、仕事帰りに買い物ができる、映画が見られる、社員割引も使える…そんな生活を想像して舞い上がってしまいました。
こうして、仕事内容ではなく「会社がある場所」だけで就職先を選んだのです。
ちなみに、入社した会社の情報を簡単にお伝えすると、その会社は大企業のグループ会社で、医薬品関連のデータを扱う会社でした。初任給は22万5千円で、残業代は分単位で全額支給、有給休暇も4月1日時点で20日付与され、労働条件だけみると全然悪くない会社でした。
新卒で入った会社を辞めた理由【ブラックだった要素】
嫌だった「AKB48のダンス」
入社まもなくして、気持ちが沈む出来事がありました。全社員の前でAKB48の曲を踊らされたのです。
私が入社した会社では、毎年4月に今年の目標などを社員全員で共有する全社会議があるのですが、その会議の中で、新入社員を紹介する場がありました。
単純に自己紹介をするだけならまだしも、人事から言われたのは「自己紹介する前に何か余興をして」でした。
その会社では新入社員紹介の場で、新入社員が毎年何かしらの余興をしており、それを社員が楽しみにしているとのこと。去年はお笑いのネタをやったとのことでした。
いや、これ強制されるならパワハラじゃない?と思いましたが、入社して間もない私がそんなことを言えるはずもなく、同期内で何の余興をするか話し合うことになりました。
結局、同期にダンス部出身の女の子が2人いたため、その子たちの主張が通って半ば強制的にAKB48のダンスを披露することになりました。
人前で目立つことが苦手な私は、本当に嫌でした。それでも流れに逆らえず、仕事終わりにカラオケに集まり、同期に振りを教わりながら練習しました。
こうして数百人の全社員の前でAKB48のダンスを披露したわけですが、社会人としてのスタートは、すでに心が重いものでした。
睡眠2時間で続いた過酷な宿泊研修
私が初めてこの会社がブラックだと感じたのは、入社後に行われたグループ会社合同の宿泊研修でした。
地方の合宿所で4泊5日の研修が行われ、社会人としてのマナーやマインドを身につける研修がありました。この研修が地獄だったんです。
研修最後の2日間、すべてのグループにある課題が出されました。この課題が非常に難しく、研修時間内には終わらない内容でした。
研修時間内に終わらなければどうするのかというと、研修時間外に行うしかありませんでした。
本来、研修時間も労働時間なので、研修時間外は自由に過ごしていいはずなのですが、会社から「この課題が終わらなかったグループは過去に1つしかない」「悪い伝説として語られたくなかったらやり遂げろ」とプレッシャーをかけられていたので、研修時間外もグループで集まって課題を進めるしかありませんでした。
本当に課題が終わらなくて、18時に研修が終わった後、夕食とお風呂を済ませ、またグループで集まって深夜2時まで課題を進めました。それでも終わらず、朝4時頃にまた集まって課題を進めるという生活が2日間続きました。
この時の睡眠時間は2時間しかありませんでした。
いま思うと異常な環境でしたが、当時は「やるしかない」という思いが脳を支配していました。先の研修の中で洗脳されていたのかもしれません(笑)
会社の研修担当は、新入社員が夜遅くまで、朝早く起きて課題をやっているところをずっと見ていたわけですが、新入社員の体調を気遣ったり、ちゃんと寝るよう促したりすることはありませんでした。
私が就職した会社は大企業のグループ会社でしたが、大企業の裏側はこんなにもブラックなのかと驚いきました。また、研修でこのブラックさなら、実際に働いたらもっとやばいことになりそうと恐怖したことを覚えています。
苦痛の満員電車
私が会社を辞めようと思った1番の理由は、通勤環境でした。
私は地方に住んでいたので、会社までの通勤時間は片道1時間半から2時間。その間、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られながら出勤する日々が続きました。
一番つらかったのは、ぎゅうぎゅうの満員電車でヒールのかかとが折れたこと。「こんな生活を何年も続けられるのだろうか」と心も折れました。
近くに一人暮らしをするという選択も考えましたが、家賃補助もなく、貯金もなく、東京での一人暮らしは到底できるものではありませんでした。なにより、疲弊している状態で初めての一人暮らしができるとも思えませんでした。
別の日には、強風か車両点検か理由は忘れましたが、電車が遅延し、会社に遅刻した時がありました。その際に、会社から「遅延を見越してもっと早く出なさい」と怒られる始末。
既に6時半に家を出ていた私は、これ以上早く出なければならないのかと、納得のいかない理不尽な指摘に疲弊するばかりでした。
合わなかった東京
東京勤務に憧れて入社した私ですが、実際に働いてみると、東京の生活が自分には合わないと気づきました。
まず、人込みが苦手でした。満員電車もそうですが、会社の最寄り駅に着いても人、人、人。どこに行っても人の多さに圧倒され、窮屈さを感じていました。
また、自然が少なく、気軽にリフレッシュできる場所もなく、常にストレスを感じるような日々でした。
学生の頃は東京に遊びに行くのが楽しかったのに、毎日通勤し、生活の一部として過ごすと、全く違った感覚になったのです。
この経験を通じて気づいたのは、私は人込みや都会的な環境が苦手であること。そして、生まれ育った地元の環境がいかに自分に合っていたかということです。
地元は程よく都会で程よく田舎、東京にも出やすい距離感で、生活の利便性と快適さが共存していました。離れてみて、初めて地元の良さを実感しました。
そのため、自然が少なく人の多い東京での仕事生活は、私には向いていなかったのです。
集中できないオフィスと興味のない業務
入社した会社のオフィスは、広々としたワンフロアで明るく清潔感があり、いかにも「都会的な理想のオフィス」という雰囲気でした。
しかし、実際に働いてみると、その環境が自分には合っていないことに気づきました。
オープンスペースのオフィスは周囲の目が常に気になり、仕事に集中できませんでした。机同士の間隔が狭いことも、心の余裕を奪う原因でした。
加えて、フロア全体が見渡せる配置のため、自分の作業が周りから丸見えで、「監視されている」ような感覚になることもありました。
この経験を通して分かったのは、私は静かで区切られた空間で、自分のペースで働く環境の方が向いているということです。小規模な事務所や営業所、集中力を維持できる環境が理想だと感じました。
自分の性格や働き方の特徴を考えると、いわゆるHSPの気質があるのかもしれません。
さらに、研修を進めていく中で業務内容そのものに興味を持てない自分にも気づきました。医薬品のデータを扱う仕事は、知識として面白さを感じる場面はあったものの、日常的に取り組むにはどうしてもワクワクするものではありませんでした。
プライベートの時間が取れない
当時は、平日のプライベートな時間がほとんど取れない生活を送っていました。
正確な残業時間は覚えていませんが、残業がある日は夜20時頃まで仕事をして、家に着くのは22時前でした。家ですることは、ご飯を食べてお風呂に入って寝るだけ。仕事中心の生活が私を追い込んでいきました。
この生活の中で、私は、ワークライフバランスの大切さを強く実感しました。
趣味をする時間もなく、リフレッシュする時間もなく、ストレスを発散する場を持てない仕事ばかりの毎日は、大きな苦痛でした。日曜日の仕事が休みの日でさえ、翌日の仕事が頭をよぎり、憂鬱な気持ちに襲われる「サザエさん症候群」に陥っていました。
私は「仕事人間」にはなれないタイプであり、仕事中心の生活では自分らしくいられないと気づきました。プライベートの時間を確保し、心身ともに余裕を持てる働き方が、自分にとって欠かせない要素だったのです。
心と体の限界
これらの要因によって、睡眠不足とストレスが積み重なり、次第に体調に異常が出始めました。お腹がキリキリと痛むことが増え、出勤の準備をするだけで涙がこぼれる日もありました。
研修中もお腹を押さえながら講義を受けることがあり、睡魔に襲われて集中できないことも日常茶飯事でした。
相談できる同期(イケイケ同期とは馴染めなかった)はおらず、母親にだけ弱音を吐く毎日でした。
このままだと心も体もおかしくなってしまうと思った私は、ついに退職を決意しました。
3度の面談に渡る引き留め
退職を決意した私は、人事に「お話ししたいことがあります」とメールを送りました。その日のうちに面談の場を設けてもらい、泣きながら退職の意思を伝えました。
理由として挙げたのは、「通勤が辛いこと」と「業務内容に興味が持てないこと」の2点。円満に退職するため、自分に非がある形で伝えるよう努めました。
人事から返ってきたのはお決まりの言葉ばかりでした。
- 「新卒で辞めて、この先どうするの?」
- 「どの会社でも通用しないよ」
- 「もっと苦労することになるよ」
それでも、私の退職への意思は固く、何を言われても気持ちは変わらないことを伝えました。
しかし、人事はすぐに退職を認めてくれず、3度にわたって面談が行われました。
最初は担当者との1対1の面談でしたが、2回目、3回目には人事部長も同席するようになりました。それでも私の決意は変わらず、最終的に3回目の面談で退職が認められることになりました。
退職届を提出し、その日が最後の出勤日となりました。幸いにも有給休暇が既に付与されていたため、残りの有給を消化して退職することができました(体調不良で何日か使っていた分を差し引いても、十分な期間がありました)。
最後に会社を出た時の清々しさは今でも忘れられません。
「次の仕事はどうしよう」「新卒カードを無駄にしてしまった」という不安よりも、「ようやく自由になれた」「ようやく苦痛から解放される」という安堵感の方が大きかったです。
ちなみに、次の転職先は決まっていない状態で退職しました。転職活動をする余裕も無かったですし、一刻も早く会社を辞めたかったのです。
それでも1ヵ月後には新しい職場で正社員として働いていました。この時の経験もまた別の機会にお話ししたいなと思います。
私の経験から伝えたいこと
新卒で入社した会社をわずか3か月で退職した経験は、私にとって辛いものでした。しかし、その中で多くの学びを得ることができ、退職したことに後悔はしていません。
「新卒カード」を無駄にしてしまったのでは、という思いがよぎることもありましたが、この経験を通じて気づいたことがあります。それは、
- 無理に環境に合わせる必要はない
- 退職は「逃げ」ではなく、自分を守る選択
- 辞めた後の道はたくさんある
ということです。
自分に合う環境を見つけることの大切さ
仕事は「自分に合う環境」で続けることが何よりも重要だと思っています。
どんなに努力しても、自分に合わない環境では長く働き続けることは難しいです。むしろ、無理をして働き続けることで心や体を壊してしまうリスクがあります。
もし、今の職場があなたの健康や精神に悪影響を与えていると感じるなら、状況を見直すべきだと思います。合う合わないは人それぞれ違います。環境が合わないことを認めて、そこから離れるのは、甘えでも弱さでもなく、自分を守るための前向きな選択です。
退職は「逃げ」ではなく「自分を守る選択」
退職を考える際、「辞めたら負けなのではないか」「社会で通用しないと思われるのでは」といった不安を抱くかもしれません。しかし、これらの不安は真実ではありません。
私が退職を決意したとき、人事から「新卒カードを捨てるの?」「どこでも通用しないよ」といった言葉をかけられました。それでも自分の意思を貫いた結果、心身の健康を取り戻すことができました。社会的地位のある公務員にも転職できました。
仕事が自分に合わないのなら、別の場所で再スタートを切ることは正当な選択です。何よりも、自分の健康や幸せを優先してください。
辞めた後の選択肢は無数にある
退職を決めるとき、「これからどうすればいいのだろう」と不安になるのは当然です。私自身もそうでした。しかし、退職後1か月で次の仕事を見つけ、正社員として再スタートを切ることができました。
働く場所は一つではありません。世の中には無数の選択肢があります。異業種への転職、起業、アルバイトや派遣など、どんな働き方でも自分が納得できるものであれば、それが「正解」です。
多様な働き方を経験する中で、「自分に合った仕事」や「大切にしたい働き方」が見えてくることもあります。それまでは模索を続け、試行錯誤しながら進んでいけば良いと思います。
さいごに
3か月で退職するという決断は簡単ではありませんでした。しかし、振り返ってみると、あのとき退職を選んだからこそ、今の自分があります。
完璧な会社選びは誰にもできません。健康や幸せを犠牲にしてまで働き続ける必要もありません。環境が合わなかったとしても、それを責める必要はないのです。
人生は一度きり。だからこそ、自分自身を大切にし、退職や転職も前向きな選択肢の一つとして考えてください。この経験が、次の一歩を踏み出すきっかけになれば嬉しいです。